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CONTENTS  
 STAGE 3
 三浦綾子原作 「母」 天童市立中学校演劇鑑賞教室 感想文
 
 
 2003年7月
 2日 @天童第一中学校 A天童第二中学校
 3日 B天童第三中学校 C天童第四中学校

 合計 4ステージ
 場所 天童市市民文化会館ホール
 主催 天童市教育委員会 天童市小中学校校長会

鑑賞会を構成するもの

劇団アドック文芸演出部 神尾哲人

天童市でおこなわれた演劇鑑賞会は、恵まれた状況下でおこなわれました。
ステージの仕込みとゲネプロのために丸一日を当てることが出来たこと。
更に、公演は二日間、四ステージに分け、学校ごとに鑑賞日と時間に分けられていたこと。
また、公演場所が、設備の整った劇場(市民文化会館)であったことなどが挙げられます。

2000名収容のホールで凡そ500名でおこなわれました。
これは天童市が文化活動に積極的であることと共に、生徒や家庭、学校、先生、
そして主催の教育委員会間の信頼関係の上に成り立っていることを物語ります。

私たちも、作品を創ることで、その信頼関係に加れたのではないかと喜ばしく思っております。
 

セキのような人に・・・
天童第三中学校 (一年)  林 優香理

私は今回の演劇鑑賞教室を見て、「母」を演じている劇団アドックのみなさんは、とても素晴らしいと思いました。
演じるのがとても上手だというだけではなく、登場人物の気持ちがはっきりと、見ている人に伝わってきたからです。

私は、この演劇を見て、昔あったことをたくさん知りました。セキは三歳の頃から、
近所の子どもたちのめんどうをみたり、十三歳で嫁入りするなど、今では考えられないような
生活に、すごいなあと思いました。

三歳などいったら、めんどうをみられる方だと思っていました。それに、セキは、とても優しくて、
店の餅やパンが盗まれても、「お腹を空かしていた人かも。」と、子どもたちに言って聞かせます。

セキはと優しくて、いつも一生懸命で、精一杯がんばっていて、とてもいい人だなと思いました。
夫の末松さんが亡くなっても、一生懸命なところは変わらず、私もそういう人になりたいと思いました。
この「母」という芝居を見てたくさんのことを学びました。どんな時でも一生懸命にがんばらなくてはならないこと、
だれにでも優しくできることなどです。家族全員が優しい気持ちを持ち、助け合って生きていけるのは、
どんな時でも家族を支え、一所懸命がんばっているセキがいるからだと思います。

わたしはこの演劇を見ることができて本当によかったと思っています。
また劇団アドックのみなさんの演劇を見られればいいと思いました。
 

いつまでも、いつの時代も
天童第四中学校 (一年)  大内ともみ

「母」という作品を見て、こんなに貧しい生活の中で、これほどまで心の豊かな家族が
いるなんてすごいなあと、先ず初めに思いました。

自分たちにはめったに食べられないパンや餅を盗まれた時にも、
母のセキは「よほどお腹を空かしていた人かもしれない。」とそれを許しました。
私だったら、許すことができなかったろうと思います。自分たちが食べていくのも大変な状況の中で、
貴重な商品を盗られて、それを許せる心があるなんて、セキはすごい人だと思いました。

そのセキが育てた子ども中で多喜二という人は、命を懸けて貧しい人のいない世の中を作ろうと
がんばっていました。しかし築地署で虐殺されてしまいました。これを知ったセキは世の中をうらんだろうと思います。
そして自分の葬式を教会でやりたいと願ったのも、キリストと多喜二が重なって見えたからかも知れません。

今の時代は、欲しいものは何でも手に入る豊かな時代であり、自由で幸せな時代だと思います。
しかしその陰にはたくさんの人々の苦労と困難があったのだと思いました。
このように、とても便利な世の中になってきましたが、この作品の時代の方が、心が豊かだったのではないかと
私は思います。相手に対する優しい気持ちや、相手を助けたいと思う気持ちは、時代とともに
だんだん忘れられてきているような気がしました。

この「母」という作品は、いつまでも、いつの時代でも、この気持ちを
心の中にしまっていて欲しいいう願いが込められているのだと思いました。
  

命の大切さがひしひしと伝わった

天童第四中学校  (一年)  簾内 彩花

今日は、演劇の鑑賞教室がありました。題は「母」で、少し難しい内容でしたが、いい勉強になりました。
人のための命をかけるのは、すごく勇気のいることなのだと思いました。その勇気ある心を支えたお母さん、弟、妹たち。
いつも真剣に応援し、励ましあっていて、私には、そんなに真剣に応援してくれる人はいるのだろうかと思い、
あらためて家族の大切さを思いました。そして命の大切さが身にしみた話でした。

戦争が起き、爆弾で大勢の人たちが死んでいきました。爆弾が落ちる直前の戦闘機の音や光には、
背中がぞくっとするような、戦争中の人々の恐ろしさが伝わってきました。
私は、戦争は嫌いです。戦争は人々の心の広さの足りなさを物語っていると思います。
心の貧しい無意味な殺し合いが今もくり返されています。
悲しいです。命の大切さがひしひしと伝わってきました。

そして私が特に感動したのは、死んだ兄のためにヴァイオリンを弾いた弟の姿です。
今までの「ありがとう」という気持ちが込められていたのだろうと思いました。
動揺を隠し、静かにヴァイオリンを弾く姿には大切な、言葉では言い表せない気持ちを
伝えようとしているのだろうと想像しました。

これから、私は少しずつ、もっともっと友達やいろいろな人のためになるようなことをいていきたいと思います。
人のために生きることは、自分のために生きることだと、この劇をみておもいました。これからがんばっていきたいです。
 


「母」の優しさ
天童第一中学校 (二年)  会田 朱音

今日は「母」という演劇をみて、学ぶことが多くありました。
まず、六人の子どもをもつセキの心の偉大さと優しさに私は驚きました。
自分たちが切り盛りするパン屋で、餅やパンを盗まれる。
「よほどお腹を空かしていた人かもしれないよ」と、そんな一言で子どもたちをなだめる母。
自分たちも裕福ではないけれど、この時代になければならない一つの優しさだと思いました。
きっとその場に私がいたら、セキのように大きな心で罪を犯した人を許すことは出来なかったろうと思います。

そんな母の強さや優しさ、それに貧しさの中の、いっときの幸せ、何もかもを演劇を通して学びました。
母が笑ってくれるから周りの空気も暖かく、母が弱みを見せずに頑張ってくれるから、貧しさの中でも
みんな一緒に喜びを感じ合えるのだなあと思いました。この演劇を見て、改めて母の本当の姿を見たような気がしました。
自分のことより子どものことを先に考えてくれて、いつでも見守ってくれる母の偉大な姿にとても感動しました。
母親は、私たちの生活の中にいつも大きく関わってきます。

一人一人がここまで育ってきたのは、母の愛や温もりがあったからです。
これは大人になってからも変わりません。演劇を見て気づいたことや学んだこと、感動の気持ちを忘れずに、
これからは私が、強い心で母を支えていきたいです。
 


一人一人の優しさが印象的
天童第四中学校 (二年)  伊藤 大和

「シーン」と会場内が静まりかえりました。
題は「母」で、家族一人一人を、優しく、厳しく、そして暖かく見守ってくれる母。
そして、家族一人一人の愛。それが物語の一番重要なところでした。
物語は、母のセキの語りから始まりました。
最初はザワザワしていた会場内も、セキの話が始まると静まり返りました。

物語はどんどん進んでいきます。セキの夫、末松と一生懸命に働いている姿や、
にぎやかな子どもたちのこと、次男の多喜二のこと、そして、東京に出てきた家族を待ち受けていた
辛いことなど、とても面白い物語が進んでいきました。

特に印象深かったのが、一家の大黒柱である夫の末松が亡くなったときでした。
そのショックを乗り越えて、家族全員でがんばっている姿がとても心に残りました。
あの時代は、食料などもろくに手に入らない時代で、その中でめげることなく、
もっと頑張ろうとしているセキや子どもたちは、すごいなと思いました。

この物語では、すべての人たちの愛を大事にしている、一人一人の優しさが、とてもよかったと思います。
私には、演劇全体を通して、母の大きさ、そして何ごとにも負けない心がとても心に残りました。
この物語は、ぼくにとって、とても勉強になりました。
 

すばらしい劇をありがとう
天童第四中学校 (二年) 早川まなつ

演劇「母」をみての一番の感想というか、疑問は、もしも私が同じ立場だったら、
「私はセキと同じように行動できただろうか。」ということだった。
自分に被害が及ぶかもしれないのに、棒頭に追われている人を助ける。
つまり、弱い立場の人を助けるということは、私だったら絶対に出来ないと思う。

「タコ」と呼ばれている人を助けた場面、私は率直に「すごい人たちだ・・・」と感心した。
次に私が感じたことは、セキは「強い人」だった、ということだった。
最愛の自分の長男を北海道へ働きに出して、会えないでいる中、久々に会ったときには、
長男は病院のベッドの上で、虫の息の状態だった。そして、亡くなってしまった。

しかしセキは「北海道へ行かせるのではなかった。」と、悔やんだわけではなく、
長男の死をちゃんと受け止めて、それからを前向きに生きた。
自分の子どもが事故でなくなり、そこから立ち直れない人がいるように、子を失うということは、
それほど辛いことなのに、それをのり越えて生きていける強い母だった。
私は一人の人間として、このセキを尊敬したい。

そして、セキの生き方を心に留めて、これから、弱い立場の人を守り、強く生きて生きたいと思う。
最後に、すばらしい劇を創り上げてくれた劇団アドックの皆さんに心から感謝します。
 

命を大切にして
天童第二中学校 (三年)  武田 沙織

どの場面にも、家族団らんの様子が描かれ、一家に襲いかかる悲劇さえも家族の力で
のり越えていく姿は、幸せに過ごす今の私たちが忘れかけているものでした。
どうして神様は、この一家にこんなにも数々の厳しい試練を与えるのでしょうか。

でも、この家族は前向きに考え、試練を生きるエネルギーに変えて戦い続けました。
そして、やっと手に入れた幸せな日々。しかし、その時も長くはありませんでした。
多喜二の書いた小説が原因で、多喜二は刑務所に送られ、そこで彼は亡くなったのです。

言論の自由が認められていない当時、多喜二は、どういう気持ちで小説を書き続けたのでしょうか。
私には、「死」を覚悟して何かに取り組んだり、おこなったりしたことはないし、これからも
自分の命を捨ててまで 何かを実行することもないでしょう。

多喜二はそれを、自分の意思でおこないました。当時の人たちにとっての多喜二の存在は、
自分たちの生活に夢を与えるヒーローのような存在であり、だからこそ、この話が
今も人々を感動させる力を持つのでしょう。「みなさん、命を大切にして、元気に仲良く、長生きしてくださいね。」
と、母セキが亡くなる前に言ったとされる言葉を聞いて、私は涙がこみ上げてきました。

亡くなる前のセキが、戦争や社会の矛盾に堪えてきたセキだからこそ言えた、私たちのために
残してくれたことばだと思います。みんな仲良くすれば戦争は起きないし、する必要もない。
セキや多喜二のためにも、そして私たちのためにもみんなが仲良くし合って、戦争の過ちを
二度と繰り返さないようにしたい。セキから私たちへの遺言だと強く心に思いました。
 

「力」に変わる母の生き方
天童第二中学校 (三年)  伊藤 瑛

「母」の上演が終わったとき、正直言うと私は理解できなかったことの方が多かった。
しかし、唯一わかったことがある。
それは今の世には少なくなってしまった暖かく、たくましく、そして信念で生きる「人の心」の素晴らしさだった。
母のセキは、母としても一人の人間としても、しっかりとした芯を持っている。世の動きに
左右されることなく 生きる母によって育てられた子どもたちは、またその生き方を受け継いでいった。
「たとえ法に触れて犯罪者の汚名をきせられ処刑されようとも、自分が進んだ道は絶対に譲らず、後悔もしない。」
このような多喜二を育てたのは、他の誰でもない母の生き方そのものであったと私は思う。

また、その多喜二が銀行員になった日には、小林家ではお祝いに、めったに口に出来ない「ぼた餅」を食べた。
弟の三吾が、「ぼた餅って人を幸せにする食べ物だね」という。それを聞いた末っ子のユキは、
「だったら、日本中の人に食べさせてあげたいね」と、素直な気持ちを語った。その言葉に私はドキリとした。
それが実現するかは別にして私は日本中の人にしてあげたいなどと思ったことがないからだ。
今の日本は豊かで、自分に出来ることは誰にでも出来るはずだと信じて疑わなかったからだ。
技術は日々進歩し続けている。しかし、今の日本人に本当に必要なのは物の豊かさや生活の便利さではなく、
心の豊かさであり、自分らしく生きることだと思う。人間の本来持っている素晴らしい心を犠牲にし、
素晴らしさすら忘れていないだろうか。
 

セキの生き方をみて

天童第三中学校 (三年)  渡辺 愛士

十三歳の若さで小林家に嫁入りしたセキ。今では考えられないことだ。
夫と一緒に一生懸命働いて六人の子どもを育て上げたことはすごい。
戦争が終わった直後で、まだ日本も貧しかったと思いますが、一年に一回のぼた餅も
食べられない年もあったという。ぼた餅に大喜びしている家族を見て、今の日本は、
食べ物のありがたさや、食べる喜びを忘れているとつくづく思った。

息子の多喜二が北海道拓殖銀行に就職が決まった。当時の銀行員になることは給料も
いいかもしれないが、頭もよくなければ入れないだろう。そこに貧乏な多喜二が入れたのはすごいと思った。
そんな中、父親の末松が亡くなった。一家の大黒柱がいなくなって、家族に穴が開いたようだった。
しかし母はみんなと力を合わせて働いた。そして子どもたちは明るく育った。

そしてこの自慢の多喜二が警察で殺される。セキは死んだ多喜二を前に、
「お前を産んで悪いことをしたのかな」と言って泣いた。死んだのは心臓麻痺だといわれたが、
本当は首を絞められて死んだそうだ。

当時は、自分の言いたいことの言えない社会だった。そんな時代だったと習った。
働く人が幸せになる世の中を目指して、小林多喜二は「蟹工船」や「みんな平等」などの本を書いて、
銀行をクビにされ、逮捕された。なぜ貧乏人を助けようとして殺されるのか。
これは戦争をしょうとする国家が悪いのだと思う。戦争は人々を不幸にする。
個人を犠牲にして戦争がおこなわれる。
ぼくも、自分の信じることをやり通す勇気を持って生きていきたい。
 

セキのような人になりたい

天童第三中学校 (三年)  加藤沙紀

私はこの「母」を見て、家族の大切さを改めて感じた。私は姉妹で一番上だけれど、
「母」に出てきた子どもたちのようにしっかりしていない。
あんなにしっかりしている子どもたちがいれば母は楽で、毎日安心だろうと思った。

小林多喜二の母、セキは明治の初め秋田のとても貧しいところに生まれた。
その頃は、農民が自分で作った米も食べられないくらい貧しかった。だからセキは、三歳かで家計を助けて働いた。
そして十三歳で末松さんにお嫁に行った。お嫁にいけるのはいい方で、街に売られる人も少なくなかったそうだ。
今でいう小学六年生や中学一年生の年頃である。
私には考えられない。そんな時代があったのかと疑ってしまう。

セキは貧しかったので小学校にも行けなかった。相当裕福でないと中学に行けなかったのがよくわかった。
今では考えられないことが次から次へと出てきて本当に驚いた。長男は病気で亡くなり、次男の多喜二は
刑務所に入った。その理由は、働いても報われない労働者だったからである。
私は感服した。刑務所に入った多喜二を、「あの子は家の恥だ」などと言わずに、
「お前が正しいと思ったことをしなさい」と、暖かく見守ってくれたことだ。とても素晴らしい家族だ。
刑務所に入っているは本当に正しいことをしているのに、なぜ殺されなければならなかったのだろう。
お金がなくて困っている人がたくさんいるのに、お金に火をつけ、ちょうちん代わりにする人などもいたという。
まるで泥水のように、心のにごった人たちだと思う。しかし小林家の人たちは最後まで
正義を貫いた透明な心の持ち主だと思う。その後、多喜二は虐殺された。

そのことを書いてあった新聞を、小学校にも行けなかったセキは読めなかった。
どんなに情けなく、辛かっただろうと思う。セキは多喜二が殺されたとき、
自分も死のうと思ったが、「自分は多喜二だけの母親ではない」と、気づいたので
死なずに生きることを選んだ。このセキを、本当にたくましく強いお母さんだと思った。
「母」は、人の心のよさ、そして温かさ、正義の強さ、また家族が自分にとってどれくらい大切で
必要なものかを教えてくれた。また母の偉大さが身にしみた。
私もセキのような人になりたいと、心から思う。
 

とても悔しい

天童第四中学校 (三年)  槙 沙織

「母」をみて、私は半分感動して、半分寂しくなりました。初めの半分は、母、セキそのものに感動し、
残る半分は、セキはこれでよかったのだろうかと疑問に思い、その疑問が寂しさに変わりました。

セキに生き方はとても真似の出来るものではないと思いました。パンを盗まれたら、普通怒って
犯人を捕まえたりするのに、よほどお腹を空かしていた人かもしれないと言って、子どもをしつけました。
そんなセキに優しさが多喜二にも伝わり、多喜二も人のために働くようになりました。

そんな多喜二が殺されたとき、正直者が損をしたような気持ちになり、とても悔しかったです。
セキには、そのように育てたことに何の迷いも悔いもなかったのだろうかと思って、少し寂しくなりました。
今回、この舞台から学んだことは、優しさは人に伝わっていくものだということです。
人に優しくされた人は、人にも優しくすることができるのだと思います。

逆に、優しくされたことのない人は、人にもやさしく出来ないと思います。
私は今後、優しさの輪が広がることを願って、これまで優しくされた分、人に優しくしていきたいと思っています。
 
〈後記〉
感想文集に掲載された中から、更に抜粋した数通だけです。実際は三時間のものを
二時間ものにした作品のため、設定に少々の無理がありました。この後、十一月の
三浦綾子フェスティバル公演で更に修正を加え、今後は三時間ものと二時間もので、
公演地に合わせて上演することにしました。(お問合せは劇団アドック制作部へ)
三浦綾子原作 「母」
三浦綾子原作 「母」 シナリオハント
本公演の感想文をご覧ください。  三浦綾子原作 「母」 初演評
 三浦綾子原作 「母」 再演評
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